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別れの朝二人は ♪

別れの朝に元恋人が果たして冷めた紅茶を飲み干して口づけをするかどうか、それも笑いながらだよ、まあよっぽど冷めた関係なんだろうからできることかもしれないが、それならどうして、涙を誘うから慰めを言わないで欲しい、とか、心が乱れるから指に触れるな、などと未練をちらつかせた演技するのか、これが女というものか、ではなく、男の想像する女に違いない、如何せんこの詞を書いたのはなかにし礼なんだから。

それにしても、誰が何処でこの曲を見つけて日本語の詞をつけようとしたのか知らないが、原曲は、ウド・ユルゲンス(Udo Jürgens)というオーストリアの作曲家・歌手の「Was ich Dir sagen will」(1967年)という作品、日本では「夕映えの二人」として発売されたが、どうやら別れの歌ではなく、愛の再確認のような詞のようだ。メロディといい、この訳詞といい、おっとこれは訳詞ではない、元の詞とはまったく関係ないのだから、作詞というべきだろう、この曲が今日まで40年間カラオケの定番としても生き続けてるとは。

そう1971年、ペドロ&カプリシャスというグループのデビューシングルとして登場したのがこの曲、その頃僕は大学を休学してどさ回りのバンドボーイをしていて、さっそくシングルを購入し、ペドロ&カプリシャスのボーカルを担当していた前野曜子の歌声に憧れたものだ。

前野曜子は数年のうちに忽然と姿を消し、そこには長髪の高橋まり(現在の高橋真梨子)がいた(1973年)。不確かな記憶では、前野曜子のステージは見たことがないが、高橋まりの長髪は見たと思う.。声質は近く、その頃は長髪フェチだった僕の心の中から、前野曜子は消えてしまった、と思っていたが、最近になって、ユーチューブという神の贈り物が手元にあるものだから、あれこれ記憶の隅をつつきながら思い出の欠片を拾い集めているうちに、前野曜子に再会した。高橋まりに較べて、声の微妙なかすれ具合が一段上で、やっぱりこれだ、これが40年前に僕の心を捉えた声とフレージングだと、まるで、若いときに心のどこかで感じていたその人への想いが、この長い時間のあとで彼女の歌う言葉でついに意識の表面に浮かび出てきたかのような感じだった、「なごり雪」にもその影を落としている「やがて汽車は出て行き、一人残る私は、ちぎれるほど手を振るあなたの眼を見ていた」と歌い終える前野曜子の残照よ。

しかし、前野曜子はこの世界にはもういなかった。

1973年、25歳の頃、彼女は人気絶頂のペドロ&カプリシャスを脱退し、単身渡米した。細かい事情は、ウイキペディア及び前野曜子・伝説の歌姫資料館に譲るとして、彼女には人気よりも大事なものがあったようで、それを追い求めてアメリカに行った。その後日本に戻り、古巣のリッキー&960ポンドでしばらく活躍、単独活動、映画出演、いくつかの恋を経て、1988年7月に肝臓病のために40歳で亡くなった。

Clip1108.mp3

前野曜子さんの冥福を祈って、「別れの朝」を載せておこう、高橋まり(二代目)、松平直子(三代目)、高橋真理子(ソロ)、そして敬意を表してウド・ユルゲンスにもワンコーラスを担当してもらい、歌をキルティングしてみた。前野曜子を最初と最後に入れたのは言うまでもない。


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